親鸞聖人と浄土真宗本願寺派について

親鸞聖人と浄土真宗本願寺派について

浄土真宗の教え

浄土真宗とは、仏陀の説いた『仏説無量寿経』をよりどころとして、親鸞聖人が明らかにした教えです。
仏陀は生死の迷いを離れて悟りに到る道を、たくさんの教えによって説きました。浄土真宗とは往生浄土の真実の教えという意味で、あらゆる者を必ず救うという阿弥陀如来の本願のはたらきによって、その浄土に往生して悟りを開く教えです。浄土真宗には20を超える宗派がありますが、「浄土真宗本願寺派」は宗派内だけでなく日本で最も信者数の多い宗派です。

本尊

本尊とは信仰のよりどころとなる仏さまのことで、浄土真宗では宗派を問わず全て阿弥陀仏一仏です。
名号本尊としては、「南無阿弥陀仏」の六字名号のほか、「南無不可思議光如来」の九字名号や、「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号などがあります。

南無阿弥陀仏

もとはインドの言葉で、「ナモ・アミターバ」がその起源です。その言葉が中国に入り音訳され「南無阿弥陀仏」となりました。「ナモ」には「帰依する、頼りにする、信ずる」という意味があり、「アミターバ」は、無限のいのち(無量寿)と、無限の光(無量光)という意味があります。ですから「南無阿弥陀仏」とは「無限のいのちと光明をもった存在にわたしは帰依します。」という意味になります。

阿弥陀仏は阿弥陀如来ともいいますが、「如来」とは「真如の世界から救うために来てくださる」ということを意味しています。 帰依とは勝れたものに対して自己の身心を帰投して「依伏信奉」することをいいます。

経典

「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「仏説阿弥陀経」の3つの経典を浄土三部経といい、根本聖典としています。なかでも「仏説無量寿経」は、親鸞聖人が「真実の教えはこの経典にある。」と位置付けており、浄土真宗では最も大切とされています。

「仏説無量寿経」には、全ての衆生を救わずにはおかないという阿弥陀仏の四十八誓願が説かれていて、その十八願には阿弥陀仏の真実心を領受し、念仏をとなえる身となったら、必ず浄土へ生まれることができるとあります。

「仏説観無量寿経」は、お釈迦さまが、悩み苦しむ人にとって念仏が大切であることを説いています。

「仏説阿弥陀経」は、極楽浄土の荘厳たる様子が描かれていて、念仏の行をすすめ、さらに十方の諸仏たちが念仏による救いの正しさを証明していることを説いています。

宗祖 親鸞聖人

親鸞聖人は1173年(承安3年)の春、日野の里(京都市伏見区日野)で誕生しました。平安の貴族政治が終わりを告げ、源氏と平家が争う武士の時代をむかえたころのことです。

9歳の時、京都の青蓮院で得度した親鸞聖人は、比叡山に登りひたすら勉学に励みました。しかし、20年にわたる学びにもかかわらず、悟りへ道を見つけることができなかったのです。親鸞聖人は出家修行に終止符を打ち、法然のもとに向かい、そこで「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えに逢ったのです。しかし、古くからあった仏教教団との間に摩擦を生じ、1207(承元1)年、法然は土佐(高知県)に流罪となり、親鸞聖人も越後(新潟県)に流されたのです。

流罪を機に、親鸞聖人は「愚禿釈親鸞」を名乗ります。恵信尼公と結婚し、民衆の中にあって念仏の教えを広めました。やがて罪は許されるのですが、親鸞聖人は京都へ戻らずご家族と共に関東の地に向かいます。そして約20年にわたり、多くの人びとに念仏の教えを語り伝えました。 その後、親鸞聖人は60歳を過ぎてから京都へ戻ります。そして1262(弘長2)年11月28日、親鸞聖人は京都の地で、90年のご生涯を終えられました。

在家仏教

親鸞聖人は、自らを「愚禿」と名乗りました。愚禿というのは、禿頭で出家のようでも、愚かな俗人だということです。その愚かな俗人という自覚から、「絶対他力の教え」を確立されたのです。浄土真宗が在家仏教といわれる所以です。

浄土真宗門信徒の心得(生活信条)

み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます
み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます
み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます
み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くします